『惑星』の作曲者ホルストの生家を訪れる。イギリスのチェルトナムへ

IMG_4685.jpg

ロンドンから電車で2時間半ほどのところにある、イギリスのチェルトナムという町。

ここで『惑星』を作曲したことで有名なグスタフ・ホルストは生まれました。
彼が生まれた家は今では博物館となっていて、彼の思い出の品がたくさん展示されています。

わたしは去年2017年の7月、ここを訪れてきたのでそのときのお話を。


IMG_4693.jpg
こちらがホルスト博物館。


IMG_4698.jpg
ホルストは1874年9月21日にここで生まれました。

ホルストの曽祖父はロシアの宮廷音楽家で、ロンドンでは音楽教師をしており、祖父はピアノとハープの先生、父は教会のオルガニスト、母はピアニストでシンガーという、古くから続く音楽家一家に生またのです。


母はホルストが8歳のときに病死してしまい、叔母が面倒を見ていました。

ホルストは小さいころからピアノやヴァイオリンのレッスンを受けていて、父は彼がピアニストになることを望んでいたのですが、持病の神経炎によってピアニストへの道は絶たれてしまいました。

しかし、小さな村の教会でオルガニストと合唱の指揮をする間に書いた曲が評判になり、父の援助でロンドン王立音楽大学へ入学することに。


では、そんなホルストが暮らしていた家の中を見てみましょう。

受付では日本語の案内シートをもらうことができるので、とてもわかりやすく見学できます!


IMG_4700.jpg
見学の始めにまず見ることになるのがこのピアノ。
これはホルストがあの名曲、『惑星』の大半を作曲するのに使ったピアノです。


IMG_4701.jpg
ここは音楽室で、壁にはホルストの1927年の肖像画が掛けられています。


IMG_4713.jpg
こちらの棚には、父親のガラス製品、ホルストに送られたメダル、妻の写真など思い出の品たちが飾られています。

そして2段目には尊敬していたモーツァルトの肖像画があり、ホルストは作曲するときいつもピアノの上に置いていたそうです。


IMG_4716.jpg
ホルストや家族たちが使っていたレコードを聴く機械がいくつか置いてありました。
今は携帯やi-Podなんかで簡単に音楽が聞けてしまうけど、昔はこんなに大きな機械で聴いてたんだよなあ。

IMG_4731.jpg
そしてこれが1925年『惑星』の最初のレコード。



IMG_4718.jpg
壁には2014年に『惑星』作曲100周年を祝って描かれた作品が掛けられています。


ところで、先ほどから部屋の壁紙がちょっと変わった模様をしているなと思いませんでしたか?

この壁紙は「アーツ・アンド・クラフツ」スタイルというそうです。
ホルストはアーツ・アンド・クラフツ運動(生活と芸術を統一することを主張した運動)を起こしたウィリアム・モリスの友人だったので、音楽室全体の壁紙がこれで統一されているのだそうです。


さて次は応接室。

IMG_4758.jpg
ここはお客様を通す部屋で、当時の部屋を想像して作られました。
応接室には、高価な家具や絵画を置くのが普通ですが、ホルスト一家には高価なものを持つことができなかったのだそうです。


IMG_4764.jpg
ここが主寝室。
おそらくこの部屋でホルストと弟エミールが生まれたと考えられています。

この時代の寝室は薄暗く、装飾品や絵画が所狭しと飾られていて花柄の壁紙が人気でした。
厚手のウール素材のカーテンと、何重にも重ねた毛布で隙間風をしのいでたのだそうです。

そしてこの家には浴室がなかったため、洗面台、移動式浴槽、寝室用便器などが使われていました。


IMG_4770.jpg
こちらが子供部屋。

この時代は「子供は大人の世界からできるだけ遠くに置く」という考えがあって、子供部屋は最上階に置かれました。
1870年代の家庭では珍しく、乳母を雇わず母親クララが二人の世話をしていたのだそうです。


IMG_4767.jpg
刺繍は子供たちが作ったものです。
まさか子供が作ったとは思えない刺繍の出来でした。

IMG_4766.jpg
この狭い屋根裏部屋は何のための部屋かというと、メイドの部屋です。

ホルスト家にはジュリアというメイドがいて、立ったら頭をぶってしまうくらいの、こんなに狭い部屋で寝ていたのだそうです。


そして、地下室へと移動します。
この地下室は1900年ごろのヴィクトリア時代に、使用人が作業をするために使っていた中流階級の家庭を再現してあります。

IMG_4746.jpg
この部屋で母クララは生活費のやりくりをし、メイドのジュリアに指示を与えていました。

ジュリアは朝6時に起きて、夜11時まで働き続け、休みは月に1日だけでした。

IMG_4743.jpg
貯蔵庫です。
涼しい地下室の一角を冷蔵庫のように使っていたのですね。


IMG_4740.jpg
こちらがキッチン。


IMG_4751.jpg
流し場。
この時代じゃ当たり前のことだけど、手で洗濯していたんですよね。
水を絞る道具も置いてあります。

この時代のことがよくわかるようになっている地下室でした。


この博物館を見学していると、ホルストはこんな環境で育って、名曲を生み出したんだなあ~としみじみと思ってしまいます。

受付では、何か質問があったら遠慮なくどうぞと言ってくれて、博物館の人はとても親切でした。
もちろん質問は英語でしなくてはいけませんが、、


ホルストに興味がある方は是非、チェルトナムのホルスト博物館を訪れてみてください(* ´ ▽ ` *)



こちらもどうぞ
☆シューマンが身を投げたライン川を眺める。ドュッセルドルフのシューマンが住んだ家へ
☆パリに今も残る。作曲家のプレートのありかを探って
☆ショパンのパリ時代に思いをはせて~ショパンが住んだ家をたどる
☆『カルメン』が誕生したパリで、ビゼーゆかりの地をめぐる
☆変わり者の天才フランス作曲家、サティが住んでいたアルクイユの家へ
☆作曲家ダリウス・ミヨーが住んだ家とお墓を訪れて
☆ラヴェルが『ボレロ』を書いた家♪モンフォール=ラモーリーのラヴェル博物館

スポンサーサイト

サティが生まれた家へ~オンフルールの素敵な港を見ながら

IMG_0480.jpg
オンフルールは、フランスのノルマンディー地方にある港町です。
観光地としても人気なこの素敵な町で生まれた作曲家といえば、、


エリック・サティ!!

サティは「音楽界の異端児」とも言われとても変わった人でしたが、自由な作風で数々の名曲を生み出しました。

後にドビュッシーやラヴェルなど印象主義の作曲家に影響を与えることになる、この偉大な作曲家が生まれた家を訪れてきました。


わたしがここを訪れたのは2016年。
この年はサティ生誕150周年だったのです!

IMG_0496.jpg
こんなに派手にお家が飾りつけられていました。



IMG_0494.jpg
反対側には傘をさしたサティ。
サティは傘のコレクターだったそうで、100本近く持っていたそうです。


中は博物館になっていて、チケットを買って入場します。
オーディオガイドをもらえて、サティの音楽を聴きながら見学できます。

IMG_0506.jpg
入口にあるのはサティの象徴でもある大きな梨。

サティは、当時ドビュッシーに「形式にこだわった作品を書きなさい」と忠告を受け、あの有名な《梨の形をした3つの小品》を書きました。
この「梨」には「まぬけ、うすのろ」という意味もあり、ドビュッシーに対して裏に皮肉の意味もこめて作ったそうです。


壁には、有名な作曲家たちがサティについて言った言葉が書いてあります。

IMG_0502.jpg
「サティは今の時代で道に迷った、中世の音楽家である。」ドビュッシー
「現代作曲家の3つのSはストラヴィンスキー、シェーンベルク、サティだ。」ミヨー


IMG_0503.jpg
「彼は賢い人だった。賢くて、わざと優しくしない。」ストラヴィンスキー


IMG_0504_20180427040526c03.jpg
「Esoterik Satie(一般人には理解できないサティ)」アルフォンス・アレ


IMG_0505.jpg
「サティが正しいかどうかは大事ではなくて、サティは不可欠な人だ。」ジョン・ケージ
「サティは、それぞれが自由に跡をつけられる真っ白な道を示した。」ジャン・コクトー




上へ上るとサティの部屋が。

IMG_0509_20180427040608a70.jpg

IMG_0510.jpg

IMG_0511.jpg
壁にはたくさんの絵が書かれ、仕掛けもたくさんありました。


サティの言葉。
IMG_0508.jpg
「部屋に机が13、ピアノが5台あるのは、同じパイプをいつも吸うと良くないように、いつも同じものを使うことは健康に悪く意味がないからだ。」サティ


IMG_0516.jpg
一番上の白い部屋に白いピアノが置いてあります。
自動演奏で音楽が流れます。


IMG_0521.jpg
こんなものが貼ってありました。

フルート→恐怖
ティンパニ→幻
アコーディオン→制圧
コントラバス→不安

何を意味しているんだろう?


IMG_0518_201804270406446af.jpg
自転車みたいにこいで動かすメリーゴーランドみたいなやつ。


IMG_0524.jpg
鍵盤を押すと、ボールが動く。



どれも不思議なものばかりで、理解できない世界。
当時サティがおかしな人なんて言われていた理由がわかった気がします。

でも、だからこそ誰にも真似できないような素敵な音楽を作り上げることができたんだろうなあ。


この家を訪ねてから、もっとサティのことが知りたくなってしまいました(*’U`*)
>>パリの郊外にある、サティが住んでいたアルクイユの家も訪ねてきました!



こちらもどうぞ
☆パリに今も残る。作曲家のプレートのありかを探って
☆ショパンのパリ時代に思いをはせて~ショパンが住んだ家をたどる
☆『カルメン』が誕生したパリで、ビゼーゆかりの地をめぐる
☆作曲家ダリウス・ミヨーが住んだ家とお墓を訪れて
☆ラヴェルが『ボレロ』を書いた家♪モンフォール=ラモーリーのラヴェル博物館

シューマンが身を投げたライン川を眺める。ドュッセルドルフのシューマンが住んだ家へ

IMG_1792_20180502214310a68.jpg
ドイツロマン派の作曲家、ロベルト・シューマン。
彼は素敵な作品を数多く生み出しますが、最後は精神の病に侵されてしまいます。

そんなシューマンが住んでいた、デュッセルドルフを訪れた時のことを。



IMG_1783.jpg
ここがシューマン夫妻が住んでいた家です。

この家に住んでいる間に、当時20歳だったブラームスが訪ねてきてシューマンを興奮させるという良いことがあった反面、シューマンが病により投身自殺を図るという悲しいこともありました。


IMG_1782.jpg
シューマンと妻のクララはここに1852年9月1日から1854年3月4日まで住んでいました。


IMG_1778.jpg



1850年9月、デュッセルドルフの音楽監督としてこの街にやってきたシューマン夫妻は歓迎を受け、最初のコンサートで成功を収めます。

創作力も旺盛で、『チェロ協奏曲』『ライン交響曲』などの名曲を作曲しました。

作曲のスピードもものすごく速くて、『チェロ協奏曲』、『交響曲第3番』、『ヴァイオリンソナタ第1番、第2番』、『ピアノ三重奏曲第3番』をどれも数日間で、『ヘルマンとドロテア』序曲はなんとわずか数時間で作曲してしまいます。


しかし最初のシーズンが終わると、地元の新聞がシューマンの指導力を批判する記事を掲載し、シューマンはしばしば指揮を落としたり、曲が終わったのに指揮を続けるなど、おかしな場面が多くなっていきます。

それでも1853年5月に開催された「低ライン音楽祭」では、改訂されたシューマンの交響曲第4番が初演され成功を収めます。

そして 5月17日には名ヴァイオリニストのヨアヒムと共演し、二人の交流から2曲のヴァイオリンソナタ、『ヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲』、『ヴァイオリン協奏曲』が生まれました。



1853年9月30日、20歳のブラームスがヨアヒムの紹介でシューマン夫妻を訪れます。
ブラームスの作品を聴いたシューマンは深く感動し、『新音楽時報』に『新しき道』と題するエッセイを書きました。


しかし1854年2月10日の夜にシューマンは激しい耳の痛みに襲われます。4日後、レストランで手にしていた新聞を置いて「とてもこれ以上読んでいられない。A音が鳴りっぱなしで聞こえるんだ」と言ったそうです。

そして17日午後2時、精神障害から錯乱状態となったシューマンは、雨の中、スリッパのまま家を飛び出し、ライン川に投身自殺を図りました

IMG_1786.jpg
これがそのライン川。
彼が飛び降りたシフスブリュッケは、1895年に取り外されたので正確な場所はわかりませんが、家からすぐにライン川が流れています。

こんなところに飛び込んで助かったなんて、、と思うような大きな川でした。


3月3日にブラームスが駆け付け、精神的にも肉体的にも疲れてしまっていたクララを、物心両面で助けます。
そして3月4日、シューマンはボン近郊の精神病院に移送され、クララと離れ離れになってしまうのです。



こちらもどうぞ
☆パリに今も残る。作曲家のプレートのありかを探って
☆ショパンのパリ時代に思いをはせて~ショパンが住んだ家をたどる
☆『カルメン』が誕生したパリで、ビゼーゆかりの地をめぐる
☆変わり者の天才フランス作曲家、サティが住んでいたアルクイユの家へ
☆作曲家ダリウス・ミヨーが住んだ家とお墓を訪れて
☆ラヴェルが『ボレロ』を書いた家♪モンフォール=ラモーリーのラヴェル博物館

ラヴェルが『ボレロ』を書いた家♪モンフォール=ラモーリーのラヴェル博物館

IMG_0578.jpg

パリの西郊外にあるモンフォール=ラモーリー(Montfort-l'Amaury)という小さな町に、モーリス・ラヴェル博物館があります。
ラヴェルはここに、1921年から亡くなる1937年まで住んでいました。


実はこの博物館、2017年2月に閉鎖されました。
理由は市のサイトでは水漏れが原因となっていましたが、おかしなことがいろいろと起こったのです。

2人の有名な音楽家が博物館を訪ねたとき、博物館の中で写真を撮ったら管理人のマダムが怒って警察に通報したり(撮影は禁止されていません)、映画やテレビの撮影を断ったり、火災報知機や盗難防止のアラームが壊れていたり、、

管理人のマダムは解雇されてしまいましたが、世界中から彼女の案内は素晴らしかったというたくさんの手紙が送られてきたそうです。

実際わたしがここをたずねた2016年9月、管理人のマダムはとても熱心に案内してくれました。
そのときのお話を書きたいと思います!



モンフォール=ラモーリーは、パリからICカードNAVIGOを使って行ける範囲なのでとても便利です。

ラヴェル博物館に行く前は電話で予約をとらなくてはいけなく、この数日前に電話するとOKが出たので、日にちと時間を決めて行ってきました。


モンフォール=ラモーリー駅を降りると驚くのが、めちゃ田舎!!!

IMG_0566_20180427170006204.jpg
モンフォール=ラモーリーの町までは3キロあり、こんな道を牛や馬を見ながらひたすら歩いて行きました。


IMG_0576.jpg
やっとたどり着いたラヴェル通り。


IMG_0581_201804271700342d4.jpg
そしてついにラヴェルの家発見!
約束の時間になるとあの管理人のマダムが車に乗って登場。丁寧に中を案内してくれました。


ラヴェルはこの家で1921年から晩年まで暮らし、ムソルグスキーの『展覧会の絵』のオーケストレーションや『ボレロ』の創作をここでしたそうです。

1917年に母親を亡くし、弟が結婚したことで孤独感に陥ったラヴェルは、華やかなパリから距離をおいて静かに暮らしたいと思い、ここへ引っ越すことを決めました。

小柄な体形だった彼に合う小さな家で、元々4部屋だった間取りは、6年間かけて10部屋近くある間取りに作り変えられました。


IMG_0582.jpg
部屋の中は、ラヴェルが暮らしていた当時のままです。


IMG_0583.jpg
窓からは緑がたくさんの景色を見ることができます。


IMG_0587.jpg
青い壁は印象的です。


IMG_0588.jpg
ラヴェルは家具のコレクターだったそうで、以前から持っていた家具をこの家に持ち込み、さらに新しく買い足すなどしながら家の中の装飾をしたそうです。



さあ、ラヴェルが作曲をしていた部屋へ!

IMG_0589.jpg
机の上にはペンなどと一緒に、『子供と魔法』のスコアがあります。


IMG_0591.jpg
こちらがラヴェルが使っていたピアノ!

窓とピアノの間がとても狭く、こんな狭いところでピアノを弾いていたんだなあ。
すぐそばにある窓からは外の景色を見れます。

そして、マダムがわたしたちに「ラヴェルの曲を弾いてみて。」と言いますが、わたしたちは管楽器専門なのでピアノは、、
でも鍵盤を触らせてくれて、ピアノの前で記念撮影までさせてくれました。


IMG_0594.jpg
ラヴェルは中国や日本など、東洋風のものも好きでたくさん集めていたようです。

IMG_0595.jpg
壁には日本の浮世絵も!


IMG_0596.jpg
さらに、コレクションの中にはかわいいおもちゃもいくつかあり、マダムがそれを動かして見せてくれました。


IMG_0599.jpg
ショーケースの中には、ラヴェルが愛用したものたち。

IMG_0600.jpg
楽譜もたくさんありました。



そして、狭い階段を下りて、ラヴェルが生活していた部屋へ行きます。

階段を降りる前に、もう入口へは戻ってこれないから置いてあるノートに何か書くようにと言われます。
このノートには、いろんなところからこの博物館を見学しに来た人たちのメッセージが書いてありました。
もちろん日本語もたくさんありました!


IMG_0601.jpg
バスルーム。

IMG_0605.jpg
こちらは寝室です。


IMG_0607_20180427175717b45.jpg
この寝室の黄色い壁に描かれている、円柱の模様が見えますでしょうか?
これ、なんとラヴェル自身が描いたのだそうです!
本当に、インテリアにこだわる人だったのですね。



最後に外のお庭へ出ます。

IMG_0584.jpg
この庭もラヴェルが日本庭園を意識して自分好みに作り変えたものです。
もみじや松なども植えてあります。
真ん中の池は、元は古井戸だったそうです。


博物館見学後はモンフォール=ラモーリーののどかな町を歩いてみるのも楽しいです♪


こちらもどうぞ
☆『カルメン』が誕生したパリで、ビゼーゆかりの地をめぐる
☆変わり者の天才フランス作曲家、サティが住んでいたアルクイユの家へ
☆作曲家ダリウス・ミヨーが住んだ家とお墓を訪れて
☆ショパンのパリ時代に思いをはせて~ショパンが住んだ家をたどる

パリに今も残る。作曲家のプレートのありかを探って

IMG_2392.jpg

パリにはあちらこちらには、作曲家が暮らしていた証が残されています。
パリで暮らしながら、そんな場所を少しずつめぐってみました。


○ショパン
パリにはショパンが住んだという証のプレートがいたるところにあります。
>>ショパンについてはこちらから



○ビゼー
ビゼーはパリで生まれ、パリの中で何度も引越しをしました。
>>ビぜーについてはこちらから



○プーランク
IMG_6694.jpg  IMG_6699.jpg
2 Place des Saussaies 75008 Paris
プーランクが生まれた家。


IMG_6769.jpg   IMG_6772.jpg
5 rue Médicis 75006 Paris
プーランクが亡くなった家。



○モーツァルト
IMG_1685.jpg  IMG_1679_201804230338391f6.jpg
8 rue du Sentier 75002 Paris
1778年、ここにモーツァルトと彼のお母さんが住んでいて、その年の7月3日にお母さんは亡くなりました。



○オッフェンバック
IMG_0027[1]  IMG_0028[1]
>>詳細はこちらから



○サン=サーンス
IMG_6824.jpg  IMG_6827.jpg
14 rue Monsieur le Prince 75006 Paris
1877~1889年に住んでいた家です。



○ワーグナー
IMG_6747.jpg  IMG_6749.jpg
3 rue d'Aumale 75009 Paris
1860年10月~1861年7月に住んでいた家です。



○リスト
IMG_6639.jpg  IMG_6637.jpg
13 rue du Mail 75002 Paris
ERARD家がこの家で1823~1878年の間リストと一緒に暮らしました。



○ラヴェル
IMG_7268.jpg  IMG_7273.jpg
4 Avenue Carnot 75017 Paris
1808~1817年にここに住んでいました。
凱旋門のすぐ近くで、今はカフェになっています。



○サティ
IMG_2325.jpg  IMG_2332.jpg
6 rue Cortot 75018 Paris
1890~1898年に住んでいた家です。



○ベルリオーズ
IMG_2321.jpg  IMG_2319.jpg
22 rue du Mont-Ceins 75018 Paris
1834~1836年に住んでいた家です。

>>サティとベルリオーズが住んだ、モンマルトルのお話はこちらから



○フォーレ
IMG_2474.jpg  IMG_2469.jpg
154 boulevard Malesherbes 75017 Paris
1886~1911年まで住み、この間にレクイエムを作曲しました。


IMG_2354.jpg  IMG_2360.jpg
3 rue des Vignes 75016 Paris
1911年から、1924年11月4日に亡くなるまでここに住んでいました。



☆Hôtel du Quai Voltaire
IMG_6781.jpg  IMG_6783.jpg
19 Quai Voltaire 75007 Paris
ワーグナーやシベリウスらが宿泊したホテルです。



プレート探しはまるで宝探しのよう♪
他にもあるはずなのですがまだ発見できていないので、これからも探し続けますo(^▽^)o



こちらもどうぞ
☆変わり者の天才フランス作曲家、サティが住んでいたアルクイユの家へ
☆作曲家ダリウス・ミヨーが住んだ家とお墓を訪れて
☆ラヴェルが『ボレロ』を書いた家♪モンフォール=ラモーリーのラヴェル博物館
にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ



↑↑このブログを気に入ってくださったら、こちらから応援お願いします!


プロフィール

YukihaCL

Author:YukihaCL
2015年9月からフランスで音楽留学してます。
趣味は旅行!
フランスでの生活、文化など現地からの情報を少しでもお伝えできたらと思います。

最新記事
コメント
アーカイブ
カテゴリー
お客様
検索
リンク