緑に囲まれながら好きなように時間を過ごせる!パリ6区のリュクサンブール公園へ

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6区にあるリュクサンブール公園
この季節花がきれいに咲き誇るこの公園は、市民の憩いの場として、観光地としてたくさんの人でにぎわっています。


わたしは、パリに住み始めて数ヶ月のころこの近くに住んでいたことがあって、朝のまだ早い時間によくこの公園にお散歩をしていました。

広くて素敵な公園は毎日歩いても飽きず、木々の間を抜けながら、朝の新鮮な空気を吸って、、


引っ越して今の家に住んでからは、リュクサンブール公園に行く機会はなかったのですが、せっかく花がきれいに咲くこの季節なので、久しぶりに行ってきました!



RER B線のLuxembourg駅を降りれば目の前にあります。

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公園の中心。向こう側にはエッフェル塔が見えます。
黄色の花がきれいに咲いている周りでは、たくさんの人が椅子に座ってその景色を楽しんでいます。

太陽の光を浴びながら、ボーっとしている人、会話を楽しんでいる人、読書している人など、時間の過ごし方は人それぞれ。


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水の上に浮いているのはたくさんのヨット。
いろんな国のイニシャルと旗がついているんです!


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ありました、日本です!



リュクサンブール公園にはテニスコートや子供の遊び場もあります。
そして子供はポニーに乗ることができるんです!

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お母さんたちに見守られながら、乗馬を楽しむ子供たち。


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こちらは「マリー・ド・メディシスの泉」。
マリー・ド・メディシスとは、このリュクサンブール公園を造るよう命じたフランス王妃です。
中央に彼女の紋章がかたどられています。



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中央の宮殿は、今はフランス元老院の議事堂として使われています。

中を見学することはできませんが、内装はマリー王妃が幼い頃過ごしたフィレンツェのメディチ家の居城ピッティ宮殿をモチーフとしているのだそうです。


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公園内には、有名人の彫刻がたくさんあります。
ベートーヴェンのもあったようですが、見つけられませんでした、、



公園内には緑がいっぱいで、彫刻や泉を見ながらのお散歩は最高です(*’U`*)

天気が良い日は、子供から大人まで楽しめるリュクサンブール公園に行ってみては?


こちらもどうぞ
☆パリ12区にこんな素敵な散歩道が!プロームナードプランテを歩いてみよう
☆ベルシー公園を走る
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パリに今も残る。作曲家のプレートのありかを探って

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パリにはあちらこちらには、作曲家が暮らしていた証が残されています。
パリで暮らしながら、そんな場所を少しずつめぐってみました。


○ショパン
パリにはショパンが住んだという証のプレートがいたるところにあります。
>>ショパンについてはこちらから



○ビゼー
ビゼーはパリで生まれ、パリの中で何度も引越しをしました。
>>ビぜーについてはこちらから



○プーランク
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2 Place des Saussaies 75008 Paris
プーランクが生まれた家。


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5 rue Médicis 75006 Paris
プーランクが亡くなった家。



○モーツァルト
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8 rue du Sentier 75002 Paris
1778年、ここにモーツァルトと彼のお母さんが住んでいて、その年の7月3日にお母さんは亡くなりました。



○オッフェンバック
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>>詳細はこちらから



○サン=サーンス
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14 rue Monsieur le Prince 75006 Paris
1877~1889年に住んでいた家です。



○ワーグナー
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3 rue d'Aumale 75009 Paris
1860年10月~1861年7月に住んでいた家です。



○リスト
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13 rue du Mail 75002 Paris
ERARD家がこの家で1823~1878年の間リストと一緒に暮らしました。



○ラヴェル
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4 Avenue Carnot 75017 Paris
1808~1817年にここに住んでいました。
凱旋門のすぐ近くで、今はカフェになっています。



○サティ
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6 rue Cortot 75018 Paris
1890~1898年に住んでいた家です。



○ベルリオーズ
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22 rue du Mont-Ceins 75018 Paris
1834~1836年に住んでいた家です。

>>サティとベルリオーズが住んだ、モンマルトルのお話はこちらから



○フォーレ
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154 boulevard Malesherbes 75017 Paris
1886~1911年まで住み、この間にレクイエムを作曲しました。


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3 rue des Vignes 75016 Paris
1911年から、1924年11月4日に亡くなるまでここに住んでいました。



☆Hôtel du Quai Voltaire
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19 Quai Voltaire 75007 Paris
ワーグナーやシベリウスらが宿泊したホテルです。



プレート探しはまるで宝探しのよう♪
他にもあるはずなのですがまだ発見できていないので、これからも探し続けますo(^▽^)o



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「私たち、新婚旅行中なんです!」

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わたしは日本食のレストランでバイトしているのですが、最近多いのが新婚旅行中のカップル
パリを何日か観光してから、他の国にも行ったり、人気のモンサンミッシェルに行ったり、、

花の都パリなんても言われ、おしゃれで歴史のある街並みは、やっぱりハネムーンにはぴったりなのでしょうか。

フランスは他の大きなヨーロッパの国とも隣り合わせなので、他の国に足を伸ばすことができるのは良いですよね!


海外ハネムーン人気旅行先ランキングでは、フランスは大体5位以内には入っているようです。



そんな素敵なハネムーン中に、日本食を食べにくる人は結構多いんです!
店の外に行列ができている時でさえも、並んで待ってる、、

せっかくの海外旅行、時間もお金も思い出も、日本食につぎ込んじゃっていいの??
なんて最初は思いました。



でも、日本食を食べに来たハネムーン中のカップルの話を聞くと、

フランス料理に飽きちゃって。
日本食が恋しくなったんです!
やっぱり日本人に会うと落ち着きますね~
って。



確かにわたしが初めてフランスに来たときは、到着後数時間で持ってきたサトウのご飯開けちゃったよなあ笑
わたしは元々、ご飯よりパン派だったはずなのに。

日本で日本食とともに過ごしてきたから、勝手に体が日本食を欲しがっちゃうんでしょうか。



まあでも、新婚旅行中、海外で日本食を食べちゃいましたあ!っていうのもまた2人の思い出に残るんだろうなあ。


最近は毎日のように青空が広がる良い季節のパリ。

たくさんのカップルの、思い出に残る素敵なハネムーンが出来上がることを願って(* ´ ▽ ` *)


モンマルトルでサティとベルリオーズが住んだ家へ

2週間のヴァカンスは長い、、
このヴァカンスは、特にどこかへ出かける予定もないので基本は家に引きこもり。

でも、窓の外のからっと晴れた青い空を見ながら楽器を吹いていると、どうしても外へ出たくなります。


2週間後に迫る試験を思い焦りながらも、気分転換にお散歩♪
せっかくなので、モンマルトルにあるサティの家とベルリオーズの家に行ってみることに。


メトロ12番線のLamarck-Caulaincourt駅で降りて、歩いて10分ほど。
芸術家たちが集まったモンマルトル地区です。


まずはベルリオーズが住んだ家へ。

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ベルリオーズはここに1834~1836年の間住みました。

彼は1833年、劇団の女優ハリエット・スミッソンと結婚します。
そして翌年ここに新居を構え、自作の演奏会を開催したり、雑誌や新聞の評論をしたりしました。

1384年にはパガニーニからの依頼で『イタリアのハロルド』を作曲すると、その初演が成功し、その年には長男が誕生するという嬉しいこと続き!

さらには、オペラ『ベンヴェヌート・チェッリーニ』の作曲に取りかかるのと同時に、フランス政府から委嘱された『レクイエム』も書き、仕事もプライベートも充実した2年間でした。


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おうちの隣にある階段を上ると、遠くまで見渡せる景色がきれい!
ここは写真スポットのようで、たくさんの観光客が集まっていました。



そしてこのまま進み、すぐ右に曲がるとサティのお家が現れます。

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1890~1898年の8年間住んだお家です。

サティはここに住んでいる間、キャバレー黒猫でピアノを弾いていました。

薔薇十字教団創始者であるジョセファン・ペラダンと出会うと、サティは薔薇十字会の聖歌隊長となりました。
そして、2万人以上が来場したと言われる第1回薔薇十字展に付随して行われた「薔薇十字の夕べ」では、サティの音楽が演奏されました。


恋愛の話は、1893年にはシュザンヌ・ヴァラドンと交際を始め、サティは彼女に300通を超える手紙を書いたそうです。
しかし!それにも関わらず6ヵ月後には絶交してしまうのです。

そんないろんなことがあったお家なんですね。

>>サティがこの後に住んだアルクイユの家のお話はこちらから



この辺りは丘なので、坂がいっぱい!
景色は面白いけれど、ちょっと歩くだけで疲れてしまいます。

ベルリオーズもサティもこんなところに住んで、毎日坂を上り下りしていたんだろうなあ。


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オペラバスティーユの立ち見席の買い方が変わりました!

オペラバスティーユ(Opéra Bastille)に、ベルリオーズ作曲の『ロメオとジュリエット』を観に行きました。

やっぱり安くチケットを買いたいので、5ユーロの立ち見席をねらいます。
立ち見席は、少ない上に人気なので大抵すぐに売切れてしまうので、早めに行って並んで購入するのです。

今日は14:30開演で、12:00前に到着。

以前は立ち見席を買うためには、入口の前に整理番号を配る人がいて、それを受け取って時間になったら機械で買っていたのですが、この日は入口に誰もいない!

どうやら、立ち見席の買い方が変わったようです。

新しい買い方は、チケット売り場に並んでチケット売り場で買うという単純なもの。

この買い方だと、どの種類のチケットが欲しい人も同じ場所に並ぶので、その日にまだ余っているチケットの種類をスタッフの人に確認してから選ぶこともできます。

もし、安くて座れる席が余っていればそれを買ってもいいし!


ただ、以前のように番号をもらったらその場を離れられるということはできず、ずっと列に並んでいなければいけません。


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チケット売り場は、正面入口に向かって右に少し歩いたところにあります。
セキュリティーチェックのような場所があるので、そこを通って中に入れます。


この日はわたしの前に数人だけが並んでいて、お!結構列の前の方じゃん♪なんて思っていたのはつかの間、その人たちは場所取りで、その人たちの友達がどんどん前に割り込んでくる!!

おばさんグループの何人かが遅れて到着したり、2人しか並んでないのに後で2人がスーパーで食料を調達してからくるとか。

そんなのありなの??


1時間半ほど待って、13:30にチケット売り場が開いて順番に中に入れました。

奥のほうにまた並び、チケット売り場で5ユーロの席が欲しいと言って余っていれば買うことができます。


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立ち見席ゲット!!!


この日はチケットが結構余っていて、チケット売り場が開場した後でも立ち見席が買えたようで、せっかく早くから並んだのが意味なかった、、

まあでもチケットを手に入れたので中へ。
始まる直前まで、スタッフの人に無理だと言われつつも正面の席の辺りで待っていて、最終的に空いている席に案内してもらい、正面から見ることができました。



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今日のベルリオーズ作曲の『ロメオとジュリエット』はオーケストラ、独唱、合唱をともなう交響曲に、Sasha Waltz(サシャ・ヴァルツ)がバレエの振り付けをつけた作品。


シンプルな衣装で、ジュリエット側のキャピレット家は白、ロメオのモンタギュー家は黒でした。

舞台の真ん中には白い大きな板が折りたたまれてあって、その上で踊ったり、板が動いて斜面になるとその上下を使って踊ったり。
最後の死んでしまうシーンでは、板の中央が開いて、そこに小石を敷いて2人は横たわります。

音楽が止んで、ロメオが1人で坂を何度も上っては滑り降りてくるシーンは印象的で、静かな中で板の上をドンドンと走る音や、ロメオのゼーゼーいう息音が開場中に響き渡りました。


そしてダンサーさんたちのパフォーマンスはすごくて、男の人たちのマッチョさはすごかったなあ。
人間を持ち上げながら踊るんだもんなあ。しかも坂を上下しながらながら、、
女の人たちは、みんなスカートをひらひらさせながら美しく踊ります。



実はわたし、オペラは何度も観ていますがバレエを観たのは初めて!
音楽に合わせたダンスはとってもきれいで面白くて、踊りだけでいろいろなものが表現されていてすごい。
ほとんど言葉がなくてもお話の情景が思いかびました。



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1時間40分ほどの短い時間でしたが、緊張感があり、シンプルでわかりやすい作品でした(^∇^)


ソー公園の桜はどうなった?

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先週ソー公園(Parc de Sceaux)でお花見をした時はまだ2分咲きくらいでした。
>>先週の桜の様子はこちらから


せっかくなので、満開になったソー公園の桜を見ておきたいと思いもう一度行ってきました。
今週は先週に比べて一気に10℃くらい上がったので、桜もびっくりしてるかなあ。


ソー公園に行くためにはRER B線のLa Croix de Berny駅で降りるのですが、間違えて2つ前の駅Bourg la-Reine駅で降りてしまいました。

まあでも、この駅からでも歩いて行けることがわかったのでお散歩がてら30分ほど歩くことに。


初めて歩く道でしたが、平和な住宅街っていう感じでした。

途中でこんなのを発見!!


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せ、戦車??
本物が歩道の脇に置いてありました。


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顔はシャルル・ド・ゴール元大統領。

彼の言葉が書いてあります。
世界の自由とフランスのすばらしさが繋がっている

世界の自由はフランスのおかげですという意味だそうで、さすがフランス人笑



公園が近づいてきます。

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こんな一直線の緑の歩道を歩いていきます。



さあ、ソー公園に到着!!
ソー公園はすごく広くて、今回は先週とは別の桜の場所からは少し遠い入口から入りました。

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公園の中はこんな素敵な景色が広がります。
植物の手入れとか大変そうだよなあ。


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結婚式をしているカップルが!
良い天気で良かったなあ。末永くお幸せに



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どこまでも続く左右対称。


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水の上を泳いでいるのは鴨の親子!
5匹兄弟でした。

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どっちかがパパかなあ。



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湖の脇ではバトミントンをやっている人も。
ネットも持参とかはりきってるなあ。


さてさて、いよいよ桜の場所へ!
先週2分咲きだった桜はどうなっているかな、、、



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おお!!満開だあ!!!


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もう先週のような蕾は全然なく、みんなしっかり花開いています。



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この日の花見客は中国人が多く、どこからも中国語が聞こえてくるっていう感じでした。
先週はいっぱい日本人がいたのにどうしたのかなあ。


ということで、2018年のソー公園の桜の見ごろは、4月21日ごろということでした。
桜は気温によって毎年咲く時期が違うから、行ってみてのお楽しみですよね!


ソー公園の桜さんたち、また来年会いましょうヾ(o´∀`o)ノ


『カルメン』が誕生したパリで、ビゼーゆかりの地をめぐる

『カルメン』や『アルルの女』の作曲者として知られるジョルジュ・ビゼー。
彼が住んでいたのはほとんどが、当時の芸術家やインテリが住んだパリの「ヌーヴェル・アテネ」地区の中でした。


■26 rue de la Tour d`Auvergne
■Notre-Dame-de-Lrette
■Rue P,Fontaine
■18 rue Victor Masse
■22 rue de Douai(Duperré)
■Saint Trinite教会
■5 rue Y.Tourguéniev 78380 Bougival
■Opéra Comique



☆26 rue de la Tour d`Auvergne
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オペラとモンマルトルのにぎやかな場所に挟まれたちょうど間あたり。ビゼーは1838年、声楽教師の父親とピアニストの母親の間にここで生まれました。



☆Notre-Dame-de-Lrette教会
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この教会で洗礼を受けました。
最初はアレクサンドル=セザール=レオポール・ビゼー(Alexandre-César-Léopold Bizet)とつけられていましたが、洗礼時にジョルジュ・ビゼー(Georges Bizet)に改名されました。



☆Rue P.Fontaine
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そして、ビゼー家はこの通りに引っ越します。
ビゼーに関するものは何も見つけられませんでした。

ビゼーは幼いころから音楽に親しんでいて、記憶力が抜群だったそうです。



☆18 rue Victor Masse
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さらに引っ越します。
こちらも何もなくて残念、、


ビゼーは9歳でパリ音楽院に入学し、 ピアノの腕をリストやベルリオーズに賞賛されました。

初めての交響曲を17歳のときに作曲し、18歳でオッフェンバック主催のコンクールで大賞をとります。そして19歳でローマ大賞を得て、奨学生として1858年1月からローマに滞在し幸せな時間を過ごします。

しかし1960年9月、母親の病気を知ってパリに戻り、その翌年に母親は亡くなります。


1863年に初のオペラ『真珠採り』、1866年『美しきパースの娘』が上演されます。

1865年セレスト・ヴェナールと出会い、彼女の家はビゼーの別荘の隣であったので、1866年から1867年の初めにかけて彼女の家で作曲しました。高級娼婦兼歌手としてセレスト・モガドールの名前で有名だった彼女はカルメンのモデルだと考えられています。

そして29歳のとき、18歳のジュヌヴィエーヴ・アレヴィに結婚を申し込み、最初はアレヴィ家から断られてしまいますが2年後ようやく認められ、1869年2人は9区の区役所で結婚式を挙げます。



☆22 rue de Douai(Duperré)
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結婚後はここに住みます。

周りにカフェなどがたくさんあり、にぎわっているところにありました。

1872年二人の間にジャックが生まれますが、二人の関係は次第に悪くなり1874年には3ヶ月間別居しました。

1872年ドーデの戯曲「アルルの女」の劇音楽を依頼され作曲しますが、評判は良くなく。
一方で、管弦楽用に編成し直した交響組曲「アルルの女」(第1組曲) の方では大成功を収めます。



☆Opéra Comique(オペラ・コミック座)
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1873年からオペラ・コミックに依頼されて『カルメン』を書き1875年3月にここで初演されますが、保守的な劇場の観衆にはスキャンダラスに映り、最終幕では拍手もなかったと言われます。



☆5 rue Y.Tourguéniev 78380 Bougival
失意のビゼーはブージヴァルの家に静養に行きます。
そして1875年6月3日、敗血症のため36歳でこの家で亡くなります。
『カルメン』初演の約3ヵ月後でした。

ブージヴァル家はまだ訪れていませんが、また後ほど行く予定です!



☆Saint Trinite教会
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葬儀はSaint Trinite教会で行われました。
大通りの前に聳え立つ、素敵な教会でした。



ビゼーが生きている間はなかなか認められなかった『カルメン』も、彼が亡くなって数ヵ月後にウィーンで初演されると、ワーグナーやブラームスが熱狂したのだそうです。
そして今では世界中で愛され、演奏される作品となりました。



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パリ12区にこんな素敵な散歩道が!プロームナードプランテを歩いてみよう

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わたしが住んでいるパリの12区には、バスティーユからヴァンセンヌの森に続くプロムナードプランテという緑いっぱいの4.5キロの散歩道があります。

ここは昔国鉄の高架橋だったのですが、1986年にパリ市が買い取り、Philippe MathieuxとJacques Vergelyという2人の建築家によって素敵な散歩道となりました。


今週、来週はヴァカンスで学校はお休み。
とっても良いお天気だったので、Gare de Lyonからヴァンセンヌの森まで3キロちょっとのプロムナードプランテを歩いてみることに。


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この上がプロムナードプランテです。
Gare de Lyon駅からすぐ近く。

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途中から上れる場所はたくさんあり、こんな看板があるので階段を探して上へ上ります。



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上へ上るとびっくり!
下からは全然わからなかったのに、こんな場所があるなんて!

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太陽に当たって大きく花開いています。

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大きな声で歌う鳥。
遠くの仲間と会話してるようでした。

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周りのお家もまたステキ。



Gare de Lyonとヴァンセンヌの森の中間辺りにある、ルイイ‐ポール・ペルナン庭園(Jardin de Reuilly‐Paul Pernin)に到着!

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ここの公園でフランス人がすることは、、、


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日焼け!!!
水着姿の人たちがたくさん、太陽の方を向いて寝そべっています。
フランス人は焼けたい人多いよなあ。


さて、ちょっと疲れたのでひと休みすることに。

売店でソフトクリームを発見。
日本ではソフトクリームなんてどこでも置いてあるけど、パリではけっこう珍しいんじゃないかな。

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店員さんは作るのに慣れてないから、こんなにソフトの巻き方が下手くそ笑


さあ、ヴァンセンヌの森までまた歩きます。

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満開の桜の道を通ります。


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こんなトンネルも。

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中は不思議な世界。


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ドラマの撮影をやっている場所もありました。



さあ、ヴァンセンヌの森に到着!!

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ヴァカンス中ということもあってか子供連れの家族なんかが多くて、木の下でゆっくりしている人やカヌーを楽している人など、楽しみ方いろいろでした。

先週は街でコートを着ている人ばかりだったのに、この日は暑かったのでキャミソール姿の人をたくさん見かけました。
フランス人は本当に極端だよなあ。



いかがでしたでしょうか??
今回はプロムナードプランテの途中からしか歩いていませんが、端っこのバスティーユから歩き始めてみたらまたもっと違う景色が楽しめると思います!

パリを歩いているのに、パリじゃないような景色。
是非、暖かいこの時期に歩いてみてください(* ´ ▽ ` *)



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Orlyvalには気をつけて!

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オルリー空港からRER B線のAntony(アントニー)駅を結ぶために、Orlyvalという電車の線があるのを知っていますか?

これはオルリー空港南ターミナル→西ターミナル→アントニー駅をつないでいる短い線です。


同じようにシャルルドゴール空港には、CDGVALというものがあります。

こちらは利用する機会が多いと思いますが、
シャルルドゴール空港ターミナル1→駐車場→ターミナル3、RER B線→駐車場→ターミナル2、RER B線
というように結ばれていて、こちらも10分足らずの短い無料の線です。



さて、今回の旅行ではオルリー空港を利用しました。
パリ~オルリー空港の交通手段はいろいろあります。

行きは早朝だったので、パリのGare de Lyonから夜行バスで空港まで行きました。

そして帰りはOrlybusを使おうかとも迷いましたが、Orlyvalでアントニー駅まで行く方が少し早いかなあと思い、初めてOrlyvalに乗ることに。


乗り場には改札はなく、もちろんCDGVALと同じで無料でしょなんて思ってそのまま乗り込みました。
乗客は少なく10分もしないうちにアントニー駅に到着しました。


ホームに降りると、そこは降車専用となっていて戻ることはできなくなっていました。


そして、ホームから出ようとすると、、、

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え?改札がある!!


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しかも、NAVIGO使えませんのマークが!!!


わたしたちと同じように改札があることに驚いていたアジア系のお姉さんがいて、どういう仕組みなのかと駅員さんに尋ねていました。


すると、Orlyvalは特別な線なのでゾーン内でもNAVIGOは使えず、チケットを買わなきゃいけないということでした。

そしてなんと、ホームに券売機がある!!
いやいや、ここ降車専用ホームなのに券売機あるっておかしいでしょ笑
乗り場には改札はないし目に付くところにNAVIGO使えないマークもなかったのに、はめられたあ!!


そして、そのチケットの値段が9.3ユーロ!!!

高っっ!
10分も乗ってなかったのに。


はあ~、こんなに高いんだったらOrlybus使えば良かったなあ。
OrlybusならNAVIGO使えたし、他の帰り方だってあったのに、、、


まあ、そんなわけで、もちろんOrlyvalがの方が便利だからという方は使ってもらって、知らなかった方はこんな仕組みなのでお気をつけください(;д;)



こちらもどうぞ
☆パリで公共交通機関を使うならNAVIGOが必須

ソー公園の桜、何分咲き?

2018年4月15日、ソー公園にお花見をしに行ってきました。

一昨年ソー公園に行ったは4月17日は満開でした。
でも今年はいつごろがいいのか全然わからず、この日に花見イベントがあるということで行ってきました。


RER B線 La Croix de Berny駅で降りてソー公園へ。
駅を出るとたくさんの日本人がソー公園に向かっていました。


広いソー公園の中で桜が集まっているのは一部の場所で、入口から入ってずっとまっすぐ。ピンクの桜が左側に見えたら左に曲がって、そこ一体が桜ゾーンになっています。


桜ゾーンに到着すると、、、



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ほとんど蕾!!!
2分咲きくらいかな。


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ちょっと咲いていてこんな感じ。



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今日のイベントは和太鼓と阿波踊りだったようで、準備がされていました。
この日が満開の予定だったんだろうなあ。



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桜が全然咲いていなくても花見をする人はたっくさん!
桜は蕾でもみんな楽しんでいるようなので、まあいっか。

そして、やっぱり今年もコスプレしてくるフランス人は何人かいて、赤や青や白などのすごい色の髪の毛の人や、武士ピーターパンドラゴンボールの格好をしている人たち、怪獣の着ぐるみの中に入っている人など、日本では見かけない花見の仕方ですね。



ということで、この日はお花見には早かったようです。
ソー公園の桜は毎年大体4月中旬ごろが見ごろなのですが、今年はまだ寒いから遅めなのかなあ。

でも来週は一気に気温が10℃くらい上がるので、来週あたりが見ごろだと思います!
雨で散らないことを祈りながら。


また来週あたりチラッと覗きに来れたらいいな♪

>>次の週にまたソー公園に行ってきました!

バルセロナのラーメンはどんな味?

1泊2日のバルセロナ旅行で、2軒のラーメン屋さんに行くことができました!

Ramen Dining YuRamen-ya Hiroです。
どちらもバルセロナで人気店。

パリと同様、町に日本人が多いバルセロナではどんなラーメンが食べられるのでしょうか??



☆Ramen Dining Yu
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まずはこちらのお店Ramen Dining Yuです。
開店と同時に入店。


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店内は木製のテーブルと椅子がならび、オレンジ色の照明でやわらかくて落ち着いた雰囲気です。


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メニューは手書きでかわいい。
今回は、お昼の時間に行ったのでランチメニューです。


ラーメン目当てで行ったので、もちろんラーメン定食を注文!
日替わりラーメン、自家製餃子、レタスチャーハン、そしてデザートか温かい飲み物がついて13ユーロです。
パリに比べるとだいぶ安い。


さて、まずはお通しが出てきます。
ラーメン屋でお通しなんてすごいなあ。

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から揚げとポテサラと、もう一個はよくわからなかったけど、どれも小さいながら食べ応えありました。


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そして、こちらが自家製餃子。中は鶏肉のようでした。


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これがレタスチャーハン。
ご飯がついてくるのは嬉しいですね。


さあ、いよいよラーメンが出てきます!


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鶏白湯 こってり焦がし醤油ラーメン。

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鶏白湯 味噌ラーメン。


お味は、、、

おいしい!!!
スープにしっかり味がついていて、少し太い麺にスープが絡まっていい感じになっています。
チャーシューは薄めだけど、あぶってあって柔らかい。
卵の半熟さもいい感じ。

替え玉を注文したくなっちゃいましたが、ないようで残念。


そして最後に抹茶アイスかコーヒーか緑茶か選べました。

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抹茶アイスを注文。
濃厚でおいしかった。


このお店の店員さんは、日本人もちらほらいます。
接客はとても良くて、安心してゆっくり食べられました。


お店情報
Ramen Dining YU
住所→Carrer de València, 204, 08011 Barcelona, Espagne
営業時間→月~土曜13:30~15:30、19:30~23:30、日曜休み




☆Ramen-ya Hiro
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さて、翌日やってきたのがRamen-ya Hiroです。


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13:30に開店するので14:00前に着いたのですが、もう10人くらい並んでいました。
さすが人気店!

席はお店の中とテラス席がありますが、席数は少ないです。
開店してすぐ満席になるので、最初に入った人たちが食べ終わるのを待たなければなりませんでした。


30分ちょっと待ってやっと席が空きました。

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ラーメンがメインで、トッピングやサイドメニューが色々とあります。
ラーメンの種類は、しょうゆ、みそ、海鮮、そして夏限定でつけめん。

セットメニューは、ラーメン+ミニサラダor餃子orおにぎり+ドリンクで、ラーメンがしょうゆかみそだと10.50ユーロ、海鮮かつけめんだと11.50ユーロです。


注文を取りにきた店員さんは片言の日本語を話しましたが、この時日本人はキッチンにしかいなかったようでした。


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さて、まずは餃子が出てきます。
こちら、表面はカリカリ。中は野菜もたくさん入っていて、手作り感のある優しい味でした。



そしてラーメン!
行列ができる人気店のお味はどんな味なんでしょう?


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こちらは海鮮ラーメン。
海老がでかでかとのっていて、シジミのような小さい貝がたくさん入っていて豪華です。

鰹節やゴマの味が利いていて、スープに海鮮の味が染み出ていました。
海に面しているバルセロナならではのラーメンですね!


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こちらがみそラーメン玉子のせ。

麺は少し太い麺でした。
チャーシューはいい感じだし、玉子の半熟さも日本っぽい。


お客さんは3分の1くらい日本人がいるという、パリの日本食レストランよりも日本人の割合が多い!

バルセロナってやっぱり日本人が多いのかなあ。
それとも、バルセロナにいる日本人は日本食が好きなのかなあ。


お店情報
Ramen-ya Hiro
住所→164, Carrer de Girona, 08037 Barcelona, Espagne
営業時間→月、火、木、金、土曜13:30~15:30、20:30~23:30、水曜20:30~23:30、日曜休み



いかがでしたでしょうか?
バルセロナのラーメンは、今までわたしがヨーロッパで食べた中でもレベルが高かったように思います。
ヨーロッパなのに、日本の味にだいぶ近づいていてすごい!

ただ、バルセロナのレストランは営業時間が短いので、行く前に営業時間を確認してから行くことをおススメします。



こちらもどうぞ

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☆素敵な建築物がたくさん!バルセロナの見どころ
☆バルセロナのグエル公園に行くなら、チケットは事前予約するべし!
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バルセロナのグエル公園に行くなら、チケットは事前予約するべし!

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バルセロナにある、ガウディ作品のひとつであるグエル公園。

同じ芸術センスを持つグエル伯爵とガウディが、バルセロナを見下ろすことができるこの場所に、自然に囲まれたイギリス風の住宅地を造ろうとしました。
2人が興味を注いでいたのは、作曲家ワーグナーの「楽劇」だったのだそうです。

しかし交通の便が悪く、さまざまな規制があったことにより、結局グエル家とガウディ家(今は小学校とガウディ博物館)以外は1戸しか売れず宅地造成計画は失敗に終わります。
その後1922年にバルセロナ市により管理され、1984年には世界遺産となりました。

さあ、そんなグエル公園に向けて出発!!



今回はメトロのVallcarca駅で降りて、公園の裏から入りました。

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Vallcarca駅からグエル公園までは急な階段がありましたが、その途中では素敵な景色を見られます。
海だって見えます!



グエル公園には有料ゾーンがあり、チケットが必要です。
事前にネットで購入することができるようです。

しかしそんなことをを知らずに12:00ごろ行くと、13:30まで入れない!
1時間半待ち

バルセロナの中心を他にもいろいろと見たくて時間がなかったので、今回は有料ゾーンに入るのをあきらめてその周りのみを見ました。
有料ゾーンには見どころが集中しているようで、残念、、(;_;)

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こちらが入場料です。ネット予約だと1ユーロ安くなります。


まあ今回はあきらめて、無料ゾーンを楽しむことに。

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公園中を探検できます。

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春なので、あちこちにきれいなお花が!

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バルセロナの町が見える!

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この波打つベンチのところに行くための行列ができていました。
ここからの眺めがとても良いようで観光客がたくさん。

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お菓子の家の屋根かな。間近で見たかったなあ。

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ガウディ博物館。



素敵な公園だったけど、やっぱり中に入りたかった!
わたしのようにならないよう、グエル公園に行くならチケットの事前予約を強くおススメします!!!



こちらもどうぞ
☆建築家ガウディの夢、サグラダ・ファミリアを訪れて
☆素敵な建築物がたくさん!バルセロナの見どころ

建築家ガウディの夢、サグラダ・ファミリアを訪れて

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バルセロナのシンボル、サグラダ・ファミリア。
今ならまだ未完成の状態が見られるということで、行ってきました!



目次
■サグラダ・ファミリアって何?
■チケットはどうやって手に入れる?
■生誕のファザード
■エレベーターで上へ
■聖堂内
■栄光のファザード
■受難のファザード




サグラダ・ファミリアって何?
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建築家アントニ・ガウディが設計した、今もまだ未完成の作品です。

1882年3月19日に起工式が行われ、翌年には初代建築家に代わり当時31歳であったガウディがあとを引き継ぎました。

彼は「完璧な教会」を建設するために自ら資金集めをしたり、教会に寝泊りしたりとこの教会の建設に情熱を注ぎ込みます。
1926年に彼が亡くなった後も建設は続けられ、ガウディ没後100周年の2026年に完成が予定されています。

今は未完成ですが中を見学することができ、その工事の進み具合を見るのも観光者の楽しみとなっています。



チケットはどうやって手に入れる?
実際にサグラダ・ファミリアに行ったことがあるという知り合い何人かに聞くと、先にネットでチケットを予約して行った方が良い!と言っていたので事前にサグラダ・ファミリアのホームページからチケットを購入して行きました。
(実際行ってみると、印刷した紙を見せるだけすぐに入れたので事前予約して正解でした。)


チケットの種類はいろいろありましたが、今回は塔のエレベーターとオーディオガイド付きで29ユーロのチケットを購入。これが一番人気のようです。

予約は『生誕のハザード』側か『受難のハザード』側か、入りたい方の入口を選び、エレベーターに乗る時間を選びます。
今回は『生誕のハザード』側、11:00入場11:15にエレベーターに乗れるというチケットを選択しました。



生誕のファザード
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荷物チェックを受けて中に入ると生誕のファザードを間近で見られます。

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生誕のファザードではイエスの幼少期の出来事が彫刻で表現されているんです。


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そして、この生誕のファザードの門の彫刻を手がけたのがなんと日本人。
彫刻家、外尾悦郎氏がこの門の製作者を選ぶコンクールで優勝し、自然界を表現してこの門を作ったのだそうです。

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こんな小さな虫たちも細かい彫刻によって、まるで生きているかのようです。


エレベーターで上へ
エレベーターに乗る前には、リュックなどの大きな鞄はコインロッカーに預けます。ここでは1ユーロのコインが必要です。(1ユーロは後で戻ってきます)

エレベーター内にはガイドさんがいて、英語で説明をしてくれます。


エレベーターを降りたら、さあ出発!!

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工事中の様子がこんなに間近で見れちゃうんです。

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階段を少しずつ下っていきます。

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隙間から外の様子が観察できるようになっています

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外側にもしっかりと彫刻があるんですね。

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空が近いなあ~。

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バルセロナの街並みが見渡せます。
時々足がすくんでしまう高さで、こんなところを工事する人たちはすごいよなあ。


写真では伝えきれないものがたくさんあるので、上には絶対上るべきですね!



聖堂内
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自然の中で育て、自然が大好きだったガウディは、自然をイメージして教会を造りました。
まるで森の中にいるような気分!


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そして、ステンドグラスが本当にきれい!!
天気が良かったので太陽がさしこんできれいに見えました。

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生誕のハザード側は青系のステンドグラス。


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そして、受難のハザード側は赤系のステンドグラスになっています。

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上にこのような聖歌隊のスペースがあるのですが、これがなんと五線と音符になっているそうです。
ガウディは音楽が大好きだったそうで、他にもこの教会の鐘が街中によく響き渡る構造したりなど、音楽を大事にしたものがあちらこちらで見られるようになっています。


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真ん中にはイエスの像がつるされています。

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オルガンパイプです。


栄光のファザード
まだ入口はできていませんが、完成予定の画像がありました。

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ドアにはたくさんの国の言葉が書かれていて、もちろん日本語もありました。



受難のハザード
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受難のハザード側の外へ出ます。


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受難のハザードでは、スビラックスの彫刻でイエスの苦しみと悲しみを表現してあります。
生誕のハザードと全く違う雰囲気になっています。

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聖具室の屋根は変わった形です。

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こちらも外尾悦郎氏によるもので、色々な果物の彫刻があります。


全部見終わった後はミュージアムを見ることができます。
サグラダ・ファミリアの歴史や、構造、模型のレプリカなど、実際に中を見学してからいろんなことを改めて知ると驚きがたくさんでした。
そして、地下にあるガウディのお墓も見ることができます。



ガウディの夢が受け継がれ、たくさんの人が長い時間をかけて建設しているこのサグラダ・ファミリア。
工事中の様子も、そして2026年の完成後にも、訪れる価値のある建物です+.(*'v`*)+




☆素敵な建築物がたくさん!バルセロナの見どころ

素敵な建築物がたくさん!バルセロナの見どころ

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パリからスペインのバルセロナへ!

今回は飛行機を使って、オルリー空港~バルセロナは2時間弱のフライト。
飛行機だとあっという間にバルセロナに着いてしまいます。
バルセロナはパリより少し温かく、羽織のジャケットがいるかいらないかというくらいの気温でした。


では、たくさんの素晴らしい建築が残るバルセロナの見どころを載せていたいと思います!


目次
■サグラダ・ファミリア<世界遺産>
■カサ・ミラ<世界遺産>
■カサ・バトリョ<世界遺産>
■カサ・アマトリェール
■グエル公園<世界遺産>
■サン・パウ病院<世界遺産>
■カタルーニャ音楽堂<世界遺産>
■サン・ジョセップ市場
■サンタ・カテリーナ市場
■サンタ・エウラリア大聖堂
■リセウ劇場
■コロンブスの塔
■コロン通り
■カタルーニャ広場




☆サグラダ・ファミリア

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バルセロナに来たら、これを見ずには帰れないでしょう!

建築家ガウディが自分の人生を捧げ、彼の夢でもあったこのサグラダ・ファミリアの建設。
1882年に起工式が行われ、ガウディが亡くなった後も彼の設計図や模型を元に建設は続けられており、ガウディ没後100周年となる2026年に完成予定です。

外から見た時も、中に入ればさらに感動!!
>>サグラダ・ファミリアについての詳しい記事はこちらから!


☆カサ・ミラ
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ガウディの崇拝者であった建築家ロサリオ・セヒモンの作品。

山がテーマとなっており、このうねうねして変わった形の建設を可能にしたのは、サグラダ・ファミリアでガウディが用いた彫刻術のおかげでした。



☆カサ・バトリョ
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ちゃんと見えませんが、右側の建物です。

繊維業界のブルジョアであるバトリョ家が、1877年に建てられたこの建物の増築をガウディに依頼しました。
1、2階が全面的に改造され、6階と屋根が増築されこのような姿に生まれ変わりました。

こちらは海がテーマです。正面は海面のように波打っていて、中は海底、窓ガラスは海面に光が反射している様子、そして屋上の煙突は煙が風に揺らぎながら上っていく様子を表しているのだそうです。



☆カサ・アマトリェール
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カサ・バトリョの隣にあるのが、三角屋根でピンク色のカサ・アマトリェール。

チョコレート職人あったアマトリェール氏の邸宅で、三大モデルニスモ建築家の一人であるジュセップ・プッチ・イ・カダファルクによって改装されました。
1900年に完成し、ガウディが隣のカサ・バトリョを作るために参考にしたと言われています。



☆グエル公園
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ガウディの大の理解者であったグエルが、バルセロナを見下ろすことのできるこの場所に、イギリス風の庭園式住宅地を造ることを計画しました。
>>グエル公園についての詳しい記事はこちらから!



☆サン・パウ病院
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これ本当に病院??という感じの建物です。

1902年から1930年にかけて建築された、建築家リュイス・ドメネク・イ・ムンタネーの作品で、「芸術には人を癒す力がある」という彼の信念によりこのような素晴らしい病院が出来上がりました。
2009年まではここで診療が行われていましたが老朽化のため閉鎖され、修復が進められています。


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中を見学するためには14ユーロかかるということで、今回は中に入るのをあきらめてしまい、外の柵からこんな景色を見ただけでした。
中に入った方、是非ご感想をお聞かせください!



☆カタルーニャ音楽堂
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建築家リュイス・ドゥメナク・イ・ムンタネーの作品で、1905~1908年にかけて合唱団ウルフェオー・カタラーのために建設されました。
優れた才能を持つ彫刻家や手工芸家たちと協力し装飾に重点を置いたのだそうです。

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昔はここがチケット販売の窓口だったのかな。

中でコンサート聴きたかったけど、今回は時間がなくあきらめました。



☆サン・ジョセップ市場
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1836年にオープンした、バルセロナで1番歴史がある大きい市場です。
たくさんの人でにぎわっていました。



☆サンタ・カテリーナ市場
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そしてこちらが1848年にサンタ・カテリーナ修道院跡に建てられた、バルセロナで2番目に古いサンタ・カテリーナ市場。
屋根のカラフルさが目立つ建物です。



☆サンタ・エウラリア大聖堂
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ゴシック地区にあるとっても大きな大聖堂です。

かつてはここに教会があり、現在の建物は1298年に建設が始まりおよそ150年後に完成しました。
ファサードは、1888年のバルセロナ万博のために改装されたネオゴシック様式となっています。



☆リセウ劇場
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1847年に完成しましたが、1861年の火災によりステージと客席の部分が全焼。
翌年再開しますが、1893年には爆弾事件が発生し20人あまりの死者を出し、そしてなんと1994年には2回目の火災でステージと観客席が全焼しました。

翌年再建されて現在に至るという、何度も大変な大事件に見舞われながらも立ち直った劇場なのです。


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写真はぶれぶれですが、劇場の前では、アコーディオンや打楽器のリズムに合わせてサルダーナを踊っていました。



☆コロンブスの塔
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海のそばに立つこの塔は、1882年に工事が始まって6年かかってバルセロナ万博の年に出来上がりました。
高さ60mのこの像が右手で指しているのが、バルセロナから見た新大陸の方向なのです。



☆コロン通り
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ヤシの木が生い茂っているこの通りは、海を見ながらのお散歩に最適!

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通りの端っこにはこんなモニュメントがありました。



☆カタルーニャ広場
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1927年に完成した広場で、大きな噴水があり、たくさんの人とたくさんのハトでにぎやかでした。
周りには、ブランドショップなどが立ち並んでいます。



いかがでしたでしょうか?
今回わたしが2日間でまわった場所はこのくらいでしたが、バルセロナには他にも見どころはたくさんあるし、中までしっかり見れなかったところが多かったので、もっと日にちがあればじっくりと見学できると思います。

バルセロナでは町で日本人に出会うことも多く、日本料理店もたくさんあって日本人も住みやすい町なんだなあと思いました。

そんなバルセロナ、是非行ってみてください(^∇^)


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☆バルセロナのラーメンはどんな味?

先生が、マックのハンバーガーでお腹を壊しながらのレッスン

今日もまたストライキの日。
少し遠回りをして学校へ。

今日はレッスンの日だったので、早めに家を出てレッスン前に学校の練習室で練習していました。
ストライキのためなのか学校は静かでした。


すると、練習室のドアが開いてクラリネットの先生が入ってきました。

先生は、
「今日は僕、体調が悪いんだ。昨日マックを食べた後お腹が痛くなって、昨日はずっと痛くて一睡もできなかった。多分あのときのハンバーガーちゃんと焼けてなかったと思うんだよね。」

「今日は生徒1人も体調悪くてレッスン休みだから、今からレッスンを2時間やろう。」

びっくりしたあ、今日はレッスンなしとか言われるのかと思った。


ということで、先生がお腹をおさえながらのレッスンが始まりました。


今日のレッスンは5月の試験のための曲、トマジの『クラリネット協奏曲』のレッスンでした。
特にアーティキュレーションのつけ方を細かく教えてもらいました。
アクセントの付け具合や音の長さなど、2時間あったので少しずつ細かく。

やりたいことを実際に楽器で表現するのは本当に難しいなあ。

「練習はよく自分の音を聴きながら、ゆっくり細かくやってね。」と何度も言われました。



先生は時々すごく痛い波がくるようで、そのときは楽器に寄りかかってめちゃ痛そうにしていました。

しかも明日、先生がこの学校で教えた一番最初のお弟子さんがフランスにくるので、一緒にご飯を食べる約束をしているそうで、

「くそぉ、このままじゃ明日ご飯が食べられない。いたたた、、」
と残念がっていました。


フランスのマックには気をつけなきゃ。

前回のレッスンのお話はこちらから>>
<<次回のレッスンのお話はこちらから

当分は冷たいシャワー??

一昨日の夜、家に帰ってシャワーを浴びようとしたらなぜかお湯が出ない
しかも水の流れがいつもより弱くて。

まあ、明日になったら出るでしょなんて思ってベッドに入りました。


すると、夜中に天井の方からなにやら変な音がする。
太鼓をたたいているように、変なリズムで。

上の階の人がパーティーでもして騒いでるのかなあと思って寝ました。


そして昨日。
朝はまだお湯は出ませんでしたが、何度か試して昼前にやっと少しお湯が出ました。
でも弱いしぬるい。

なんでだろ。
まあ、ぬるいけどシャワーは一応浴びれるからいっか。



夕方家を出たら、うちのアパートの前に消防車が停まっていました。
どうしたんだろう、火事かな。
なんて思いながらその場を通り過ぎて出かけました。


そして帰ってくると、エレベーターの中にこんな貼り紙が。

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「昨夜の音はお湯の水圧低下によるもので、建物の入口の前から変な蒸気が出ていたので、消防車とCPCUに来てもらいました。直るまでお湯は使えません。」


えええ!!!
お湯が使えない??

しかもいつまでかわかんないやつじゃん。
シャワーが水とか、、、


今日は頑張って冷たい水のシャワーを浴びました。
何かの修行じゃないかっていう感じです。


最近のパリはやっと少し温かくなったくらいで、まだプールの水温には早すぎます、、

仏検2級に再チャレンジ

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仏検(実用フランス語技能検定試験)は日本の学習者のためのフランス語の試験です。


わたしは去年(2017年)の春、初めて仏検の2級に挑戦しましたが、1次試験は通ったものの2次試験で落ちました。

1次試験は筆記で、2次試験は試験管との面接。
この時の2級の合格率は、1次試験36.2%、最終合格率が30.7%という、なんと2次試験で落ちたのは5.5%のみ。

その中に入った自分って、どんだけフランス語しゃべれないんだ(T_T)

毎年2次試験は90%くらいは通ることは知っていたから、1次試験を通ったところで、まあ大丈夫でしょなんて甘く見ていたらこのありさまです。


2次試験の個人面接では、面接官は2人いて1人はフランス人1人は日本人で、2人がわたしにどんどん質問してくるというものでした。

緊張していて何を答えたのかあまり覚えていないけど、わたしの学校やバイトでの話、これからどうしたいか、というような内容だったと思います。

わたしの言いたいことが伝わらなさすぎて、日本人の面接官が助けようとしてくれてたけど、それも無駄にしてしまいました。


パリ会場では、フランス語学びに日本から留学してきた学生や、フランスで暮らしている日本人の子供がお母さんと一緒に受けに来るっていう人が多かったように思います。



まあ、そんな去年の悔しさを思い出しつつ、今年2018年春、再チャレンジします!
パリ受験だと2級は9000円
無駄にできない金額です。


1次試験を通った人は次季のみ1次試験が免除されるのですが、パリ受験は2級が春のみしかやっていないため、秋は受験できず今回また1次試験から受けなければなりません。


1次試験6月17日、2次試験7月15日
今回はもちろん筆記もやりつつ、わたしが大の苦手とする会話を重点的に勉強しないと、、



さあ、1次試験まではあと2ヶ月ほど。
今年こそは合格できるよう頑張らないと( >< )


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☆DELFは日本で受けたほうが安い!

SNCFのストライキ始まりました。

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2018年4月3日。
今日からSNCFのストライキが始まりました。
ストライキはこのカレンダーの丸がついた日。
こんなにもあります、、

>>ストライキをすることになった理由はこちらから


事前にストライキするということはわかっていても、実際どのくらい電車の本数がなくなるのかはその日になってみないとわかりません。


今日のパリ内の電車はどうなったかというと、

RERA線→2分の1
RERB線→4分の1
RERC線→5分の1
RERD線→6分の1
RERE線→3分の1
トラム4→2分の1
L線→3分の1
N線→4分の1
R、U線→0

こんな感じでした。
メトロの本数は変わらないのですが、普段RERを使う人がメトロに流れてきたのでメトロもすごい人だったようです。

お隣の国へは、ベルギー行きはほとんど大丈夫で、ドイツ行きのTGVは本数が減って、イタリア、スイス、スペイン行きは0でした。


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どこもかしこも大変なことになっていて、ホームにものすごい人があふれかえっていたり、長い間待ってやっと来た電車に窓から無理やり乗車しようとする人がいたり、、、大混乱な状態でした。



そんな今日、わたしは14時から学校で室内楽のレッスンがありました。
学校へ行くときにいつも使うN線はいつ電車がくるのか全くわからない状態だったので、だいぶ早めに出て遠回りをして学校までたどり着きました。

先生の部屋に入ると、前のチームがレッスンを受けていました。このグループは日本人2人とフランス人1人。
ちゃんといつも通りレッスンが行われていました。


そして14時がすぎ、わたしたちのレッスン時間になりました。
わたしたちのグループは、わたしとフランス人1人、フランス10年在住の台湾人1人です。

でも部屋にはわたししかいません。

すると先生が「あら、あなたのグループの子からメールがきたわ。」って。
その内容は、今日は電車が動かないのでわたしたちはレッスンには行けません



えええ!!!
今??
もっと早く連絡してくれてれば、わたし学校来なくて良かったのに、、



先生は「困ったわねえ。じゃあ、今日はあなただけでレッスンね。」
と言って、3重奏の曲を1人でフルートの先生に受けるっていう不思議なことになりました。


レッスンが終わると、先生がコーヒーを入れてくれて、お菓子までくれました。



フランスでは予想ができないことだらけ、、
そんな時はちょっと怒れたり、でもそんなハラハラさせてくれるフランスが好きだったり。

ショパンのパリ時代に思いをはせて~ショパンが住んだ家をたどる


ポーランド人でありながら、パリに住んでいた期間が長いという作曲家、フレデリック・ショパン。

彼が移り住んだ住んだ家には、今も彼の名前が入ったプレートが掲げられているところが多いです。
せっかくパリに住んでいるので、そんなショパンの足跡をたどってみました。


27 rue Boulevard Poissonniere 5階
4 cite Bergere 2階
5 Rue de la Chaussee d'Antin
38 Rue de la Chaussee d'Antin
5 Rue Tronche
20 rue Jean-Baptiste Pigalle
80 rue Taitbout
74 rue de Chaillot
12 place Vendôme

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↑大体の場所です



○27 rue Boulevard Poissonniere 5階
1831年9月~1832年6月

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ショパンがパリにきて最初に住んだ家です。

1831年9月の暮れにパリに到着し、結局これ以降ポーランドに戻ることはありませんでした。

彼は友人への手紙でこの家について、「素敵なマホガニーの家具付きの素敵な部屋で、モンマルトルの丘からパンテオンまでのパリで一番美しい景色が見渡せる。」と書いたそうです。

ヨーロッパ中からたくさんの弟子たちが集まり、ピアノを教えて収入を得ていました。
彼は自宅で小さなコンサートをするのが好きだったので、パリで公開演奏会を行うことはほとんどなく、毎年一回300席ほどのサル・プレイエルでコンサートをするのみでした。




○4 cite Bergere 2階
1832年秋~1833年6月半ば

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向かいにはハイネが住んでいて、ショパンとの交流もあったようです。
今はホテルになっています。

1832年2月の演奏会では、誰もがショパンを賞賛し、1833年3月23日には、ショパン、リスト、ヒラーで、バッハの「3つの鍵盤楽器のための協奏曲」を演奏しました。



○5 Rue de la Chaussee d'Antin
1833年6月~1836年9月

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今はもう何もありませんが、オペラ座のすぐ近く。
エチュードop.10はここで完成され、リストに献呈されました。

ロスチャイルド家での演奏が好評だったため、レッスンの依頼が殺到し、楽譜もたくさん出版していました。この家には、リスト、ベルリオーズ、メンデルスゾーンがよく集まっていたそうです。

そして1835年8月1日にはフランスの旅券が発行され、ショパンはフランス市民となりました。
その年、チェコのカルロヴィ・ヴァリで両親と再会し、その帰り道、ドレスデンでヴォジンスキ伯爵一家の娘16歳のマリアに恋をしました。


調べていると、1778年、ここの住所にはホテルがあり、モーツァルトがそこに3ヵ月間泊まっていたようです。そして、同じ頃の作曲家Gretryはこの隣の4番で亡くなったそうです。



○38 Rue de la Chaussee d'Antin
1836年9月~1839年9月

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そして、同じ通りに引っ越します。ここももう残っていませんが、サントトリニテ教会が見える通りです。

1836年の9月、マリアにプロポーズします。しかしマリアは若く、ショパンの健康状態が悪いことにより、二人の結婚は実現しませんでした。ドレスデンを去る朝にマリアのことを想い、『ワルツ第9番 イ長調 (別れのワルツ)』を書きます。
そしてパリに戻った後すぐ作品25『練習曲集』第2曲ヘ短調を作曲し、これを「マリアの魂の肖像」 と述べ、ポーランドロマン派の詩に曲をつけた7つの歌曲をマリアに贈りました。

同じ年、リストの愛人マリー・ダグー伯爵夫人のホームパーティーでサンドに出会い、最初ショパンは彼女に嫌悪感を抱いていましたが、サンドは友人に、ショパンについて32ページにもなる手紙を書き、1838年の夏には秘密の関係ができあがります。

そしてショパンとサンドと2人の子供は、ショパンの健康を良くするため、マヨルカ島へ行くことになりました。



○5 rue Tronchet
1839年10月~1841年11月

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マドレーヌ寺院のすぐそばにありました。残念ながらショパンに関するものは見つけられませんでした。



○20 rue Jean-Baptiste Pigalle
1839年~1842年9月(サンドの家)  

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マヨルカ島からバルセロナ、マルセイユ、サンドの別荘があるノアンを渡り、ショパンとサンドと2人の子供はパリへ帰ってきました。Tronchetに住んでいたショパンは、Pigalle のサンドの家をたびたび訪れ、ほとんどの時間をそこで過ごすようになると、Tronchetの家を売り払い、サンドの家で一緒に住むことになりました。



○80 rue Taitbout
1842年9月~1849年6月 

そして1942年に引越し、隣同士の建物で暮らします。
1846年までは夏の間はノアンで過ごしました。

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ショパンの病が悪くなるにつれ、サンドは看護師のようになっていきました。しかし、1845年ごろからショパンとサンドの関係は悪くなっていき、1847年、10年続いた二人の関係は終わりました。
その後、ヴィルトーゾとしての人気は落ちていき、弟子は減り、1848年にパリで最後の演奏会を開きました。その年の4月、ロンドンでいくつかのコンサートをして喝采をあびます。

11月16日、ロンドンで最後の公開演奏会を行い、パリへ戻りました。彼は病に苦しむ生活を送りますが、それでも友人たちに会うことはやめず作曲への熱意は冷めていませんでした。



○74 rue de Chaillot
1849年6月~9月22日

シャイヨーの現在トロカデロ広場になっている丘の上に住みました。もう今はありません。
パリではコレラが流行していたので、少し落ち着いたこの場所に来ました。
ここにポーランドから、姉のルドヴィカがお見舞いにきて、5年ぶりに再会しました。



○12 place Vendôme
1849年9月~10月17日

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ショパンは家族と一緒にいたいという思いから、1849年6月、姉のルドヴィカにパリに来てもらう約束を取り付け、9月からこの家に住み始めます。
ここには以前はロシア大使館が入居しており、7部屋もあった2階はショパンには払える家賃ではありませんでしたが、ジェーン・スターリングが彼のために肩代わりしました。

10月15日には病状が深刻になり、ポトッカ夫人が見舞いに来て歌い、ショパンはソナタを弾くよう頼んだりしました。
ショパンは、ジョルジュ・サンドが「私の腕の中で息を引き取らせてあげる」と約束したことに不平をもらしたりもしたそうです。そして17日に亡くなります。


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葬儀はマドレーヌ寺院で行われ、モーツァルトのレクイエムが歌われました。オルガンを弾いたのはリストでした。



☆ランベール館
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ランベール館は17世紀の建物で、ポーランドを亡命したドン・チャルトリスキ家の住まいでした。
パリに住むポーランド亡命者たちはここに集まり活動していました。

ショパンもそのうちの1人でここに毎週通い、人前で演奏を披露していたのだそうです。
そして、サンドと上手くいかず孤独になったときにも、ここでポーランド亡命者たちと交わって癒されていたようです。



作曲家ゆかりの地を訪れたお話です
☆パリに今も残る。作曲家のプレートのありかを探って
☆『カルメン』が誕生したパリで、ビゼーゆかりの地をめぐる
☆変わり者の天才フランス作曲家、サティが住んでいたアルクイユの家へ
☆ラヴェルが『ボレロ』を書いた家♪モンフォール=ラモーリーのラヴェル博物館
☆作曲家ダリウス・ミヨーが住んだ家とお墓を訪れて

かわいいチョコレートを食べちゃおう!フランスのイースター

2018年は、今日4月1日がイースター(復活祭)
フランス語だとPâquesです。

この日はキリストが復活した日で、キリスト教のとても大事な日。


イースターの日は毎年違って、春分後の最初の満月の次の日曜日に行われます。
そして翌日は復活祭の翌月曜日(Lundi de Pâques)で祝日となっています。



イースターに子供たちがすることは、卵の形のチョコレート探し!!

なぜ卵の形かというと、卵は昔から生産力の源として神聖視されていて、目覚めや再生を象徴するものだからだそうです。


家の庭に大人がチョコを隠したり、大きな公園では子供のための卵探しイベントも行われたり、、

そして、この日のためにパン屋さんやスーパーではたくさんのかわいいチョコレートが売られます。



ということで、わたしも今日はチョコレートをいただきます♪

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スーパーで買ったMilkaのチョコと鶏のチョコ。

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Milkaはパッケージも卵のパック型で、中にはこんなかわいい卵型のチョコが入っているんです。

卵の殻に似せたチョコの上の方をまず割って、中に入っているやわらかいホワイトチョコをスプーンですくって食べるっていう、子供心をくすぐる仕組みになっています。



ところで今日は「エイプリルフール」。
この日は嘘をついても良い日ですよね。

エイプリルフールは、フランスで「Poisson d'avril (4月の魚)」と呼ばれ、魚の絵を描いた紙をこっそり気づかれないように友達の背中に貼ってからかうっていう日なんです。


どこの国でも、何歳になっても、やっぱりイタズラはみんな大好きですよね!

こんなに間近で観れるなんて!サッカー日本VSウクライナ戦

今年の6月から始まるワールドカップ2018に向けて、サッカー日本代表VSウクライナ代表の国際親善試合がベルギーのリエージュで行われました。
ベルギーなんてパリから近いじゃん!ということで、せっかくの機会なので観戦しに行っちゃいました。


今回試合が行われたのはStade de Sclessinという、リエージュの中心から少し離れたところにあるスタジアム。

スタジアムまではバスで行けますが、周りは工場ばかりあるようなけっこう田舎にあるのでバスの本数は少なかったです。
バスは1乗車2.5ユーロでした。


バスの中には、わたしたちと同じように応援にきた日本人だらけ。
日本語が飛び交います。

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スタジアム到着!


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中に入ると練習が始まっていました。

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このスタジアムには3万人はいるようですが、この日の観客は2529人で観客席はガラガラ。

よっぽどじゃないと、なかなか親善試合を日本から観に来ることなんてないからしょうがないよなあ。
席は25ユーロで、一応場所は決まっていましたが移動し放題でした。


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ウクライナの応援はこれだけ。
それでも、ものすごい掛け声の応援で熱が入っていました。


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さあ、14:20キックオフです。


前回はリールで日本VSブラジルを観に行って、ゴールの真後ろですごく近かったのですが、今回はスタジアムの形のためなのか、さらに近い!!
普段テレビで見ている選手たちがでかい!笑

テレビでは試合中の選手はちっちゃくしか映らないもんなあ。


興奮しながら試合を楽しみます。


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1対2で負けてしまいましたが、特に最後の方はゴールに入りそうで入らないっていう場面が多くて面白かったです。
そんな緊張感を間近で感じられて良かった。


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試合後は選手たちが挨拶にまわってきてくれます。
間近だと選手の表情とかも見れちゃうから面白いですね。

日本ではLIVEでテレビ放送していて、観客が少ないので小さいけどもちろんわたしも映っちゃいました。
日本で見ててもらえたかなあ。



そして、ヨーロッパで日本の試合を観戦するときに驚くことが、日本の応援の席にいるJリーグの服を着たヨーロッパ人の多さじゃないでしょうか。

今回は2017年J1リーグで優勝した、川崎フロンターレのTシャツを着たヨーロッパ人は5人いて、そのうち3人がフランス人、2人がドイツ人だったそうです。
浦和レッズの真っ赤なTシャツを着ていたヨーロッパ人も。


日本にいたときはサッカーにはあまり興味がなかったけど、こうやってヨーロッパで日本代表の人たちが外国の選手と戦っているところを見ると、同じ日本人として応援したい!という気持ちになってしまいますね(*≧∪≦)



こちらの記事もどうぞ
☆ベルギーのリエージュをお散歩
☆ベルギーワッフルは2種類あるのを知っていますか?


ベルギーワッフルは2種類あるのを知っていますか?

ベルギーの名物といえば、、、
やっぱりワッフル!!!
ベルギーではとってもおいしいワッフルが食べられます。


そんなベルギーのワッフルは2種類あるのをご存知でしょうか?

その2種類とは「ブリュッセルワッフル」「リエージュワッフル」です。


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こちらが以前ベルギーの首都ブリュッセルに行ったとき食べた「ブリュッセルワッフル」。

長方形の形で、生地は軽くてフワフワ。
生地の甘さは控えめになっているので、甘~いトッピングをかけることが多いのだそうです。


そして今回はリエージュに行ったので、本場の「リエージュワッフル」を食べてきました。


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こちらが、リエージュワッフルの人気店Pollux
聖ポール大聖堂のすぐ前にあります。


10時開店ということで、10時過ぎに着いたのに閉まってる!!
お店の中は、椅子が積み上げられていてまだ準備すらできておらず、店員さんが1人でゆっくりコーヒーを飲んでる??

お店を覗きに来る人は多く、やっぱり人気店なんだなあという感じ。


営業時間は書いておらず、ただひたすら待っていると10時半に窓が開いた!
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こちらがテイクアウトの売り場です。

ワッフルの種類は、バニラ、シナモン、チョコ(周りor中)があります。

お値段は
バニラ、シナモン→テイク2.5ユーロ、席3ユーロ
チョコ→テイク3ユーロ、席3.5ユーロ

テイクアウトにすると0.50ユーロ安く食べられます。


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手前が中にチョコが入ったもの、奥はバニラです。

「リエージュワッフル」はこのように楕円形の形をしていて、生地に味がついているのが特徴なんです。


さあ、いただきます!

焼きたてでアツアツ。
外はカリッ、中はもっちりしていて最高!!!

これが食べられただけで、リエージュ来てよかったああってなりました笑


テイクアウトは、お店の前にある噴水の前で、聖ポール大聖堂を見ながら食べることができます。

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こんなライオンに見られながら。


お店情報
Pollux
住所→Place de la Cathedrale 2 | Angle rue Vinave d'Ile, Liege 4000, Belgium
電話→+32 4 223 67 81



さあ、次はいよいよ、リエージュで行われたサッカー日本代表戦観戦に向かいます!
>>こんなに間近で観れるなんて!サッカー日本VSウクライナ戦


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☆ベルギーのリエージュをお散歩




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YukihaCL

Author:YukihaCL
2015年9月からフランスで音楽留学してます。
趣味は旅行!
フランスでの生活、文化など現地からの情報を少しでもお伝えできたらと思います。

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